2011-12-28から1日間の記事一覧
純文学で「なんてことない日常」を描く場合、その姿勢はネガティブだ。 「生きづらさ」を感じるひとびとが描かれる。 読者は作品中の「現実」を通して、もう一度、この問題についてじぶんなりの考えを巡らせる。 それが純文学のひとつの効能だ。 エンタメで…
なぜ、僕は彼女が書くように書けないのだろう。 人間を文章のなかに閉じ込めて、かつ活き活きと息づかせるように。 彼女に野心はないかも知れない。 けれど、少なくとも、彼女は人間を知っている。 僕とは違って。 嫉妬はなくても、焦燥はある。
すべての人が小説を書くようになれば、世界はすこしだけ平和になると思う。 自己実現の術を持たないがために、人は、人に依存したり、人を出し抜いたり、人を殺したりする。 小説を書く、というのは、自己実現のひとつの術だ。 じっさいに書かなくたっていい…
僕は、へたくそなのではない。 僕は、才能が無いわけではない。 書くべきものがない、というだけだ。 そして、作家と作家志望を隔てる決定的な一線は、そこにある。
純文学を書く上でいちばん必要とされるのは、文章力でも、実体験でも、読書量でもない。 野心だと思う。 野心があればこそ、いままでにないものが書ける。 野心があればこそ、時代性を捉えたものが書ける。 野心があればこそ、歴史に残りゆくものが書ける。 …