ブログ開設しました。あと純文学について。

何度めのブログ開設だろうか。
今度は続ける。
あれだ、あんまりキッチリ書こうとか思わずに、思ったことをだらりと吐き出していけば、きっと続く。


純文学を書け、と彼女に言われている。
エンタメ畑でずっと書いてきて、自分には純文なんてできるわきゃーないと思い続けてきた。
諦めてきた。
あれは、なにか「書くべきもの」を持っている人だけに許された芸術なのだと。
自分は芸術家ではないのだと。
だから割り切って、せめて他人に面白がってもらおうと、エンタメを書き始めた。
人物なんてペラッペラで構わない。
ただ、ハリウッドみたいにむやみに面白がれればそれでいい。
そう考えて。


だけどね、どうもそうじゃないらしい。
僕の作品には魂が込もってないのだと言われる。
人がきちんと立体として描けてないのだと。
それでいいんだよエンタメなんだから、と思っていたんだが、読者としてはそうもいかないらしい。


知ってるかい。
人って、その中に生きる人間を見るために小説を読むらしいぜ。
トリックだのギミックだのガジェットだの世界観だの設定だのは二の次で、とにかく人間が見たいのだと。
僕は知らなかった。
そういう風に読んだことさえあんまりなかった。
トリックだのギミックだのガジェットだの世界観だの設定だのを楽しんで、これはいい、とか、これは微妙、なんて判定をくだしながら読んできた。
けど、それはいかんのだと。


純文学とは、リアルな人間を写し取るものだ。
だから、僕は純文学を書くことで、バランスをとることができるかもしれない。
いままで僕が書くものに、人間が全く欠いていたとするなら、今度は徹底的に人間を描く練習をすれば、ちょうどいいのかもしれない。
彼女はそういう風に言った。
それから、僕という人間はなかなか面白いから、その視点から書かれた人間像を見てみたいのだと。


僕という人間が面白い。
その言葉がいちばんびっくりだった。
同時に、おまえ贔屓目で見てんじゃねえのかい、とも思ったが、それこそ卑屈になり過ぎなのかもしれない。
まだ、分からない。


分からないなら、書いてみればいい。
試しに。
そう、ものの試しに。
どうせ減るもんじゃない。
減るとしたら時間だけだ。
そして幸い、時間だけならアホみたいにたっぷり持ち合わせているのだ。


もしかしたら。
面白くない人間でも、純文学は許容してくれるかもしれない。
試してみよう、試しに。