本って誰が読んでるの?

主に読書(この場合は小説)をしているのは、どんな層の人たちだろう。
ていうかぶっちゃけ、男と女、どちらがより小説を読んでるのか。
そういう話で彼女と意見が割れた。
せっかくなので考えてみる。



僕は、女性のほうが小説を読んでいるように思う。
源氏物語の時代から、「小説は女性が読むもの」という認識がまかり通っている。男はしかつめらしい顔をして「教養のため」漢籍を読み、女たちは「暇つぶしのため」小説を読む、という構図だ。
きわめて古い構図だけど、これはわりと最近まで——具体的に言うと、戦後くらいまでは続いていた。お父さんは通勤電車に新聞や時代小説(一時期は戦国武将に経営を学ぶ、なんていう流行もあった。これも教養寄りだ)を携え、お母さんは自宅での家事の合間に小説を手に取る、といった形だ。なんとなく、イメージにあるんじゃないかな。
太宰治なんかも、「小説の読者なんて女ばっかりなんだから、婦女子を騙せりゃそれで大成功なんだよ」といったようなことを随筆に書き残している。
実態はどうあれ、こういった世間の認識は同調圧力に弱い日本人の行動を規定する。
「小説→女性」という認識が崩壊した最近まで、「大の男が小説なんて……」という考え方はわりかし支配的だったのではないだろうか。


対して、彼女は男のほうが本を読む、と主張する。
たしかに、現代でも死ぬほど本を読んでいる人は男のほうに多い。男のほうがオタク体質だから、のめり込むとそれ一色なのだろう。作家や文学者なんていうのはいうなれば「文学オタ」なのだし。
それに、とにかく男は教養が好きだ。
「小説」が「文学」と名を変え、学問の対象になったころから、小説は教養の位置にまで引っ張り上げられた。
最近は娯楽小説さえまともに読まない連中が増えてきたこともあって、「小説を読むこと」はそれだけで文化的・高尚な行為とみなされるようになっていったのだ。
こうなると、事情が変わってくる。
司馬遼太郎がビジネスマン必携、となれば、世のサラリーマンたちは司馬遼太郎を手に取るようになる。
芥川賞くらい目を通しておかなくては、となれば、受賞作の単行本が売れる。
「教養として」「義務として」読まれるようになってから、男は半ば必要に迫られる形で小説を読むようになった。
へんな形だが、これも社会認識の変化だと言えそうだ。


さて。
実際、男と女、どちらが小説を読むのだろうか。
ちろっとgoogle先生にお伺いを立ててみたのだが、信頼できる統計データは見当たらなかった。なんでも、読書人口調査はあんまり進んでないのだとか。へー。


結論が宙に浮いたままだが、終了。