「ロックンロールは鳴り止まないっ」のどこが衝撃的だったのか?

神聖かまってちゃん、というバンドがある。
最近出てきたパンクバンドだ。ネットの動画サイトでPVやライブ映像を公開していたところ、メジャーデビューにこぎつけたという経歴の持ち主だ。


はじめて彼らの曲を聴いたのは、去年の秋頃だった。
ネットで「神聖かまってちゃんがスゴイ」と褒め称える記事を読み、ほんまかいなと思ってYouTubeを覗いてみたのがきっかけだった。


曲名は、「ロックンロールは鳴り止まないっ」。


正直に言う。
打ちのめされた。


一回目は呆然と聴いた。
二回目はボロボロ泣きながら聴いた。
三回目は一緒に歌詞を絶叫しつつ聴いた。
まあ、要するに、「すごかった」のだ。


なんて言うべきかな。
「やられちまった」というか。
「ああ、叫ばれてるよ」というか。
「おお、ここに同志がいるぜ」というか。
少なくとも、僕と同じ時代で、同じように苦しみながらモノを生み出そうとしている奴らがいる——ということだけは、分かった。


間違いない。
これは、僕たちの世代の音楽だ。
ようやく、僕らの手元にやってきた。
そう感じた。


なにがそんなに衝撃的だったのか。
歌詞の一文一文を追いながら、じっくりと見ていきたいと思う。
できれば、実際に曲を聴きながら——歌詞を見ながら、この先を読み進めてもらいたい。



昨日の夜、駅前TSUTAYAさんで

TSUTAYAである。
もう、なんの装飾も衒いもなく、TSUTAYAなのだ。
正直言って、これが一番リアルだろう。
タワレコHMVで新品のCDを買えるほど、僕たちは豊かじゃない。
TSUTAYAで、レンタルする。
それをMDなりiPodなりに移して、移動中にぼんやりと聴く。
ぶっちゃけ、みんなそうだろう? なあ?

僕はビートルズを借りた、セックスピストルズを借りた
「ロックンロール」というやつだ


ここの「ビートルズ」だの「セックスピストルズ」だのという固有名詞は、入れ替わっても一向にかまわない。
個人の嗜好が存在する限り、誰の心をも打つ音楽なんて作れるわけがないのだから——この場所には、各人が各人の打ちのめされたバンドを代入してやればそれでいい。
「ロックンロール」でありさえすれば、いいのだ。

しかし、
何がいいんだか全然分かりません


これ。
これだよ。
そうカンタンに感動なんてできるわけないんだ。
僕たちは往々にして、「感動した」と嘘を吐く。自分をよく見せたいという意識から、自分はこの作品の素晴らしさを分かってるんだぞ、と強がってみせる。
そんなアピールをしたところで、なにも変わらないのに、だ。
しかし、コイツは違う。
「分からない」と言う。きちんと言う。
その正直さ・率直さこそが、「受け手」の取るべき態度だと思う。
面白くなきゃ、面白くないと言わなきゃならない。わかんないなら、わかんねえと言わなきゃならない。
それがスタートラインだ。

do da
turatura
oh yeah!yeah!yeah!


すげえな、って思うのがここだ。
この声。すごく繊細なんだよ。
最初の部分は、聞いてのとおりすごく幼い歌い方をしてる。へたくそと言ってもいいくらいに。でも、この声はすごくいい。うまい。
初めて聴いたときは歌の巧いところをアピってるのかと思ったんだけど、たぶん違う。
要するにだ。
この「ビートルズピストルズを聴く僕」は過去の「僕」なんだよ。
つまり、この間の声は、「現在の僕」の声なんだよ。当時の「僕」を、やさしいまなざしで見つめている。
このやさしさってのがどういうことか、先を聴いていくうちに分かるようになっている。

夕暮れ時、部活の帰り道で
またもビートルズを聞いた、セックスピストルズを聞いた
何かが以前と違うんだ
MD取っても、イヤホン取っても
なんでだ全然鳴り止まねぇっ


そう。
創作物には、タイミングってものがある。
ぱあっと認識が開けるような、一瞬にして作者の意志が分かるような、作品のすべてが自分に沁みわたるような、そんなタイミングが。
ぶっちゃけ、人間ってのは馬鹿だ。
馬鹿だから、自分に照らし合わせないとよく分からない。共感したり、感情移入したりしなくちゃならない。
この共感なり、感情移入なりは、しようと思ってできるもんでもない。
すべてはタイミングだ。
だから、ある日突然「鳴り止まなく」なる。
いきなり、がつんとこめかみを殴りつけられて、その痛みが止まらなくなる。
あるだろう、そういうこと。

今も遠くで聞こえるあの時のあの曲がさ
遠くで近くですぐ傍で、叫んでいる


「今も」だよ。
「あの時のあの曲」だよ。
うわ切ねえ。上の感動って現在の話じゃなかったんだよ。昔の話なんだよ。それがここで初めて明かされる。
けどね、まだ鳴り止んでないんだ。
だからこの男はギターを手にしたんだろう。手にせざるを得なかったんだろう。

遠くで見てくれあの時の僕のまま
初めて気がついたあの時の衝撃を僕に


「あの時の僕」をコイツは嫌ってるはずだ。
もうくそったれで、はなったれで、殺してやりたいほど醜くて、未熟で。
だけどね、許すんだよ。
あの時の感動が本物だったからだ。
本物の感動を、その「僕」はちゃんと受け止められる奴だったからだ。
だから、「遠くで見てくれ」と言う。
今ここでギターをかき鳴らす自分を、いつか自分がたどり着く自分の形を、きちんと見ておけと言うんだ。

いつまでも、いつまでも、いつまでもくれよ

もっともっと、僕にくれよ
もっと、もっと、もっと、もっと、
くれよ!


ここで、貪欲さをさらけ出すことを彼はもうためらわない。
もっと、もっと。
もっと、打ちのめしてくれるようなものを。
引き絞るようなボーカルが、だんだんと少年の声からロックスターの声になっていく。
本気を叫ぶ男の声になっていく。

遠くにいる君目がけて吐き出すんだ
遠くで近くですぐ傍で叫んでやる


ああ、この声だ。
この声に打ちのめされるのだ、僕たちは。


ついでに言うと、ここで歌詞の主体は、「僕」から「君」へと移行している。いつの間にか、彼は「受け取る側」から「伝える側」に移ってきているのだ。
個人の感情を吐き出すレベルから、それによって大衆の感情を代弁できるレベルまで。
驚け。
ロックスターが生まれた瞬間だ。

最近の曲なんかもうクソみたいな曲だらけさ!
なんて事を君は言う、いつの時代でも


モノを作れば、もちろん批判にも晒される。
しかし、彼は批判の姿勢さえも問うのだ。おまえら本当に、きちんと考えた上で叩いてんのかよ、と。
そして同時に、安易な批判にヤラれそうになっているクリエイターたちの尻を叩いてくれるのだ。

だから
僕は今すぐ、今すぐ、今すぐ叫ぶよ
君に今すぐ、今、僕のギター鳴らしてやる
君が今すぐ、今、曲の意味分からずとも
鳴らす今、鳴らす時


叫び、ギターをかき鳴らす。
曲の意味なんて分からなくていい。なくてもいい。
そこに魂さえあれば、人の心は揺るがせる——。
見失われかけていたロックンロールの王道を、この21世紀に、なんてことない少年が今ここに再定義したのだ。
これに震えずして、なにに震えるのだ。

ロックンロールは鳴り止まないっ


聴いたか?
「鳴り止まないっ」の瞬間、
ロックスターの声が、
少年の声に戻ってるんだ。


つまり、彼は最後まで、「ビートルズピストルズに打ちのめされた少年」のままであり続けているんだよ。
これすごいよ。
コイツ、ここまでケツまくって見せてくれてるんだよ。「俺は普通のガキだよ」って。
「ただ、ロックが好きなだけだよ」って。
スターじゃなくてもロックをやっていい。
天才じゃなくても、モノをつくっていいんだ。
彼が証してくれたのは、つまりそういうことだ。


この曲は、要するに、すべてのクリエイターへの応援歌なんだよ。


モノを作るようになったのは、スゴイ作品に出会ったからだ。
少なくとも、僕の場合はそうだった。
自分の出発点とも言えるその作品は、モノをつくる上で——いや、ひょっとしたら、以降の人生ずっと——心の奥底で鳴り響き続ける。
その音色に共鳴するように、僕たちはモノをつくるのだ。


怯えなくてもいいんだ。
自分の前に、偉大すぎる先人たちがいようと、石塊ばかりを投げつけてくる客ばかりだろうと、おじける必要なんてない。
神聖かまってちゃんは、
の子という少年は、
そう言ってくれているのだ。


※興奮しすぎて支離滅裂でした。すみません。