漫画と比べて、小説はココがいいよ!(オタクの視点から)

うちは兄弟揃ってオタクなわけだが、ジャンルが若干違う。
ぼくが少年漫画で、弟が少女漫画。
ぼくがバトルもので、弟が日常もの。
ぼくが燃えで、弟が萌え。
外から見たらどっちもどっちなんだろうけど、オタクからしてみればこれは決定的な人種違いである。同じアメリカ人だけど、白人と黒人、みたいなイメージだ。


しかし、決定的な差異はもう一つある。
弟は漫画しか読まないのだ。
小説は、「字を読むのがめんどくさい」「字だけで想像しなきゃいけないのが辛い」と言う。
からしてみれば、これはびっくりである。
だって、漫画もセリフは字じゃないか。
漫画も音や色はなくて、想像任せじゃないか。
反論の言葉はポンポンと出るのだけど、弟は納得いっていない様子だ。


いい機会なので、ここで小説のメリットをまとめてみようと思う。
すごーくオタク的な話ばかりなので、硬派な小説好きの方はスルーしてくれてかまわない。

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難しいゲームのほうが、

昨今は受けるようだ。
世界樹の迷宮」シリーズといい、「デモンズソウル」といい、
ネットでマニアに受けているのはだいたいが難しいゲームだ。
難易度を高くするのは、制作側にもメリットが多いように思う。


・歯ごたえがある、とマゾゲーファンが喜んでくれる
・シナリオを長くしなくても、長い間プレイしてもらえる(中古に出回るのが遅れる)
・「ムズすぎる」という不満を「オマエが下手だからだろ」と封じ込めてくれる


ただし、いたずらに難しくすればいいわけではない。
理不尽であってはだめだ。
頭を使ったり、試行錯誤したりすれば潜り抜けられるように作らなくてはならない。
敵をとにかく硬くする、とか、ノーヒントすぎる謎、なんてものは最低だ。


つまり、ゲームバランスに気を使わなくてはならない。
ゲームは、そういう本来的なところに回帰していくのかもしれない。

「純文学ってなんなのよ?」と、

ふだん小説を読まない人に問われることが、最近あった。二度。
せっかくの機会なので、「純文学」の定義について考えてみたいと思う。


さて。
僕がその時、彼ら二人に説明したのは、以下の三点だ。

1、純文学とは、現実を写しとるものである
2、純文学とは、新しい表現を追求するものである
3、純文学とは、文字による芸術である

一つひとつを取り上げて考えてみたい。

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